象牙の箸宮城谷昌光は殷の紂王が象牙の箸を使用したと記述し、 陳舜臣は春秋時代の晋の献公が肉を手づかみし、まだ箸は登場していないと記述する。 宮城谷と陳のどちらかが嘘をついている。 嘘吐きは陳だ! 陳は礼記に手づかみのマナーが記載されている事を根拠としているが、早とちりだ。 青木正児は次のように述べる。 礼記では飯は手づかみ、箸は飯用ではなく具入り羹(スープ)用だった。 後漢から飯は匙で、箸を飯用にするのは南方の粘り米から始まり南人の天下である明代になってようやく北方にも波及した。 殷墟から匙と青銅製の箸が発掘されている。 銀の箸を王が常用したのは、毒殺を恐れ銀がヒ素で急変色するのをチェックした。 四月馬鹿は嘘をついて良い日、でも、年中嘘をついて良い人がいる。 小説家だ。 箸は有ったけど箸は無かった 箸であって箸でない とするならば、陳舜臣は嘘吐きだ! は、言い過ぎかも知れない が、つまり、 箸(現物)は有ったけど 箸(文字)は無かった 箸(神具)であって 箸(食具)でない 箸(現物発掘)は有ったけど 箸(甲骨文字)は無かった 箸(依代神具)であって 箸(食事用具)でない 殷の紂王が象牙の箸を使用した記述は史記に見えるが、紂王を貶める嘘との説が有る(酒池肉林も) 船中84策 呼箸為快(ハシヲヨビテ カイトナス) 中国では箸に当たる字は色々有り秦の始皇帝が箸に統一したが、南船北馬と言うように長江から南の江南地方では人の移動は船で、 それだけに舟中では、箸の発音チュが住と同じ、住は柱立し1処に止まる意で、転覆・沈没を想起し忌み嫌い、 快速の快子と呼ぶようになった。 箸はジャポニカ米と共に南方から始まり南人の天下である明代になってようやく北方にも波及し、 快に竹冠をつけた快子が全土に広まったが、江南の更に南の福建では今も箸、朝鮮はチョッカラで箸の音読みチョ、チャクからだろう。 快子の読みは クァイズ、クワイズゥ、クァイーツェ で、 婚礼では箸を贈るのが好まれ、二つで一組を象徴し快子、即ち早く子供を生み子宝に恵まれるよう嫁ぐときに持たせる風習もあるとか。 怪漢、快感、快刀乱麻、快は刃物で分断する勢いをココロヨイとするもので、殷人の血祭大好き人間らしさが溢れている。 |